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プロフィール

神戸のパルモア病院で三宅院長に取り上げていただきました。産声が病院一大きく元気な女の子(院長談)でした。

小学校低学年の記憶はほとんどなく遊び遊び遊びの毎日だったようです。

親和中学校に入学、女の花園でのびのびと過ごし、この時期に恩師から頂いたことばや繋がりを生涯の宝物として持ち続けています。好い意味での自己主張や隠れた悪を見逃さないことを教わりました。

書道部に属し余白に対する黒の配置や、美意識を磨かれました。

大学では、体育会合気道部に属しひたすら受け身の練習に汗を流し、黒帯まで行くことができました。

教員時代は子どものことばによる表現(作文)活動に力を入れていました。転機が訪れたのは、文部科学省派遣教師として中米のコスタ・リカ共和国サン・ホセ日本人学校に派遣されたことです。午前5時45分頃サンタ・マリア空港に到着し生温い風の中、信号機が電線にぶら下がっている目抜通りを不安げに赴任校に向かったのを記憶しています。(新風社「Hola!Costa Rica」より)

そこから3年半、政情不安定な中米という国にすむことを経験し、安全を守ることとは、貧困とはをこの身を以て経験することができそれ以後の人生に大きな影響を与えました。

帰国後は、3年半で学んだスペイン語を教える側にたちスペイン語を教えながら日本語教師の資格を取得し、留学生教育に当りました。

「待てば海路の日和あり」と友人らに揶揄されながら40代で結婚、幸いながら子どもにも恵まれ44歳で出産いたしました。

出産後は今でいうマタハラで、勤めていた学校の契約を打ち切られました。出産後は軒並み子どもの年齢を言ったとたん、面接では100%お断りでした。

言うまでもなく40代出産ということは「老老育児」の世界です。一番たよりの実母も高齢で孫の世話より介護が必要な年齢、働くにも働けない悔しい思いをしました。仕方なく、キャリアUPを目指すためこどもが0歳の時に大学院に戻り、学校教育学修士を修め私立学校に勤務しましたが、今度は子どもの「小一の壁」にぶつかり博士課程に進学し学業に専念する為に一切の仕事を中止しました。

ようやっと2014年7月、Ph.D Candidateを取得し博士論文を書きながら高等学校の非常勤講師をしています。

研究課題は、多言語・多文化教育、多文化共生、子どものバイリンガル教育です。

*神戸市立小学校教諭、親和中学校・女子高等学校教諭、文部科学省派遣コスタリカ共和国サンホセ日本人学校教諭、JICA青年海外協力隊スペイン語講師、新宿日本語学校・日本語教育センター日本語講師、神戸ドイツ学院日本語講師、兵庫県子ども多文化共生サポーター、兵庫県初任研修担当教員、同志社小学校教諭などを経て現在、神戸大学附属中等教育校非常勤講師。

 

*2002FIFAワールドカップ通訳ボランティア、神戸市外国人児童生徒受入れ校支援ボランティア

*海外訪問国36カ国

*趣味

 サイクリング(しまなみサイクリング2014完走)、スキー準1級、スケート、ラテンダンス、テニス、ゴルフ、Cafe巡り、旅行

 

*著書「Hola!Costa Ricaよりーエデンの園からー」新風社

*論文

 ・「大陸系中華学校による国際化・多文化化への試み―横浜山手中華 学校と神戸中華同文学校を事例に」『コア・エシックス』Vol. 10,  立命館大学大学院先端総合学術研究科, 2014年3月, pp. 203-214.

 ・「神戸中華同文学校におけるバイリンガル教育の方法と実践をめぐ る一考察」『生存学』

 第七号、立命館大学生存学研究センター, 2014年3月, pp. 104- 

 118.など。

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